
絵本『ぼくれんらくせんにのったんだ』を読み込んでみた【青森県】
絵本の『ぼくれんらくせんにのったんだ』は、故・渡辺茂男さん:作、故・大友康夫さん:絵の「くまたくんのえほん」シリーズの第13巻です。
くまたくん親子が、かつて運航されていた青函連絡船をモデルとした(可能性が極めて高い)船に乗って海峡を渡るお話がかかれています。
筆者はくまたくんのえほんは何冊か読んでいたものの、この連絡船のお話は大人になって自分に子どもが生まれた後で知りました。
この記事では、大人の目線でこの絵本を読みこんだ結果、気がついたことや考えたことを述べます。
※時折「現実と違う」といった内容の記述が登場しますが、あくまで我々が暮らす現実の世界とは違うという事実を明らかにしているだけであり、批判的な意図はないことをあらかじめお断り申し上げます。
くまもり行き寝台特急「満月」号
絵本を開いてタイトルのページを見ると「EF65 1098」と書かれた青色の電気機関車にけん引された青色の客車が描かれています。
機関車の前頭部には「満月」と書かれたヘッドマーク。

くまたくん親子は、くまもり行きの寝台特急「満月」号の車内で目を覚まします。
「くまもり」という駅名と、そこで「くまだて」行きの連絡船に乗り換えることから、くまもり駅のモデルは明らかに青森駅でしょう。

くまたくん親子は、青森行きの寝台特急に乗って、そこから北海道の函館行きの青函連絡船に乗り換えるという、まさに石川さゆりさんの名曲『津軽海峡・冬景色』の歌詞と同じ行程の旅をしているわけです。
なお満月号という寝台特急は実在しないはずです。モデルとなった列車があるのかもよくわかりません。
この絵本が出版された時期に実際に青森駅を行き先としていた寝台特急としては「ゆうづる」「はくつる」「あけぼの」(以上は東京都の上野駅始発)「日本海」(大阪駅始発)といった列車があります。
また、星に関する名前がつけられていた列車は「金星」「銀河」「すばる」「彗星」「明星」などが当時、あるいは過去にありましたが、月に関連する列車愛称は「月光」「夕月」しか筆者は思いつかないです。
この寝台特急満月号の旅のお話も読みたい! ……という読者の声があったのかはわかりませんが、くまたくんのえほんシリーズの次巻である14巻は『ぼくブルートレインにのったんだ』で、くまたくん親子が満月号に乗る話になっています。
この絵本は筆者が子どもの頃から読み込んでいた絵本で、こちらの絵本の記事も後日書こうと思います。(余談ですが、12巻の『くまたくんちのじどうしゃ』は、7巻の『ぼくキャンプにいったんだ』に登場したくまたくん一家の車を見た読者が「この車を買うときの話も読みたい」という感想を寄せたためにかかれたお話です)
なお、満月号の絵には、実際の青森行きの寝台特急にはあり得ないものが描かれています。それについても後日の記事で述べます。
連絡船「白熊丸」
くまだて駅で寝台特急から降りたくまたくんは「ビルのように おおきな ふね」にびっくりします。もちろんこの船は青函連絡船がモデルで、船体の下部が青色なので「摩周丸」だと思います。
青函連絡船は1隻ずつ違う色に塗り分けられていて、どの色の船に乗れるかが乗客の楽しみの1つにもなっていました。例えば、青森市内で保存されている「八甲田丸」は黄色です。


青函連絡船は、青森駅と北海道の函館駅の間を1908年から1987年までの79年間に渡って結び続けてきた、鉄道連絡船です。人や自動車を載せることができましたが、一般的なフェリーとの大きな違いが2つあります。
1つは、青森駅や函館駅で改札を出ずに列車から乗り換えられたり、運賃が他の国鉄・JRの路線と一体となって計算されていたりするなど、国鉄・JRの列車のように扱われていたこと。
もう1つは、船内に鉄道車両(主に貨物列車の貨車)をそのまま積み込んでいたことです。
青函連絡船に関する詳細は、下記の記事でご覧ください。
広い船内
朝食を食べたくまたくんたちは、売店のある賑やかなフロアに移動します。
売店には「でっかいどう! 熊海道」と書かれたポスターがあり、この連絡船のモデルが青函連絡船であることを隠すつもりもない描写となっています。また、船長が「獅子丸猛」(ししまる たけし?)というかなり勇ましい名前であることがわかります。名字が示す通り、船長はライオンです。
そして、畳のしかれた広い船室では、大勢の乗客がギターを弾いたり、本を読んだり、トランプをしたりと、さまざまなことをして過ごしています。中が広いというのは、飛行機や列車ではありえない、船ならではの特徴といえるでしょう。青函連絡船は「国鉄の乗り物の中で一番豪華だったのでは」とも言われています。
そして、やがておとうさんがくまたくんに、この船には貨物列車も載っているということを説明します。
絵は、船の全体図が描かれています。そして、煙突や船内に積み込まれた貨車には「JR」のロゴがついています(詳しい事情はわからないのですが、こういうロゴって、一般的には架空のものにするのでは……?)。
国鉄が分割民営化されてJR各社が発足したのは1987年の4月で、一方で1988年3月に青函トンネルが開通したため、青函連絡船は廃止されています。ということはこの絵本は、JR北海道が青函連絡船を運航していたわずか1年間だけの時期の姿をモデルに描かれているのです。
なお、貨物列車の貨車は、船の下の方の層にある車両甲板に収容されています。おとうさんが解説している通り、連絡船の乗客が船内の貨車を見ることはできませんでした。
しかし、現在青森で保存されている「八甲田丸」では、車内甲板に立ち入って、保存されている鉄道車両の見学が可能です。
函館で保存されている「摩周丸」は、車両甲板への立ち入りは不可能ですが、遠隔操作カメラで車両甲板を見られます。
おとうさんはくまたくんに「せんちょうさんは、このふねで、いちばん みはらしのいいブリッジで うんてんしているんだよ」と解説しています。しかし、船長がブリッジにいるのはいいとしても、果たしておとうさんの解説や、絵に描かれているように、実際の船の運転をしているのでしょうか?
実際の運転(操船)は操舵手や航海士の仕事ではないのかと筆者は思います。
また、船内の貨物列車は大型の貨車と小型の貨車が混ざって連結されており、国鉄時代の(具体的には1984年2月に操車場での貨物列車の組み換えが廃止される以前の)貨物列車のような雰囲気が若干漂っています。

Gohachiyasu1214 – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0,
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くまたくん親子はどの便に乗ったのか?
さて、くまたくんたちは連絡船のどの便に乗ったのでしょうか?手がかりは3つあります。
まずは、時期が1987年から1988年の1年間のどこか(登場する動物たちの服装から、夏ではなさそう)であること。船に乗ってから朝食を食べたこと。そしてギター演奏やトランプなどをしているお客がいた部屋の時計の時刻が、8時35分だったことです。
筆者はちょうどいい時期の時刻表を持っていないのですが、青函連絡船の廃止を1年余り後に控えた1986年11月の時刻表によると、青函連絡船の朝の便は、5時25分青森発・9時15分函館着の便(21便)と、7時30分青森発・11時20分函館着の便(23便)がありました。
船に乗ったら朝食を食べて、食後に船内を散策しているうちに8時35分になったという描写により合致しているのは、7時30分に青森を出発する23便の方でしょうか。
ただし、23便に乗り換えられる青森行きの夜行列車は「はくつる1号」(22時20分上野発・7時15分青森着:東北本線経由)といって、絵本の冒頭で描かれていたようなブルートレインではなく、583系という電車を使用した列車です。
21便に乗り換えられる列車もやはり583系を使用した「ゆうづる1号」(19時50分上野発・5時08分青森着:常磐線経由)です。

どちらにしても絵本の描写が現実のダイヤに合致していないのですが、あくまで架空のお話だからと理解するしかないでしょう。
そもそも、くまたくんたちが旅をしているのは、”くまもり”から”くまだて”までであって、現実の青森から函館までではないのです(ここまでの考察を全否定するようですが)。
ひぐままるとすれ違う
白熊丸はイルカの群れに遭遇したり、海の色が帯のように3色に分かれている海域を通過したりした後で、白とオレンジ色に塗り分けられた別の連絡船「ひぐままる」(漢字表記は絵から判読できないので不明)とすれ違います。
この船は、おそらく十和田丸がモデルです。

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時刻表によると10時10分函館発・14時05分青森着の便(6便)があるので、この便と10時45分頃にすれ違ったと考えると、つじつまがあうかと思います。
ちなみに、このすれ違う絵からわかるとおり、船がすれ違うときは、右側通行が国際的なルールとなっています。
日本は自動車や鉄道が左側通行ですが、たとえ日本の港同士を結び、日本の領海だけを通る船であっても、国際的なルールが適用されて右側通行をします(なお津軽海峡の中心部は公海なので、青函連絡船は「日本の領海だけを通る船」ではありません)。
これは航空機も同様です。
そうこうしているうちに、白熊丸はくまだてに到着します。絵本は「ぼく、れんらくせんに のってきたんだよ、ね、パパ!」とくまたくんが言って終わりますが、この後親子はどのような旅をするのでしょうか?
おわりに
『ぼくれんらくせんにのったんだ』の初版は1987年9月で、半年ほど後に青函連絡船は廃止されてしまいます。
絵本を読んだ子どもたちの中には、連絡船に乗ってみたいと思った子どももいたと思いますが、そのうちのどれくらいの割合の子どもが、実際に青函連絡船に乗船できたのだろうかとは思いました。
作者の渡辺茂男さんは巻頭に「旅も人生も、スピードだけが勝負ではありません。ゆっくり動かなければ、大事なものを見落としてしまいます。」と記しています。
そして「こんどは、くまたくん親子に、ゆったりした船の旅をたのしんでもらうことにしました。」とのことです。たしかに、海峡のイルカの群れや、帯のような3色の海は、現在海底の青函トンネルを通って運行している北海道新幹線では、決して見ることのできないものです。作者の言葉に思わずうなずいてしまいました。
現在の社会で、ゆったりした船旅をすることはなかなか難しくなっていると思います。新幹線や航空路線はずいぶん充実しましたし、海の上でさえも高速船が就航したりしています。しかし、ゆったりした船旅でなければ見えないもの、経験できないこともあるでしょう。
幸いにも、青森港には現在も北海道との間を結ぶフェリーが出ています。また、マグロで有名な青森県の大間町には、青森市からスタートして陸路で行くよりも、函館市からスタートしてフェリーで行く方が所要時間が短かったりします。
時には船に乗ることを旅の行程に組み込んでみるのもよいのではないでしょうか。