仙台城跡

【宮城】戦国大名、伊達政宗の居城跡「仙台城跡」

東北の雄、伊達家の居城仙台城

仙台城跡は、宮城県仙台市青葉区にあった仙台藩62万石の伊達家の居城跡で、青葉山の上に築かれていたことから、「青葉城」という名前で呼ばれることもあります。政令指定都市となっている宮城県仙台市の市街地を見渡すことができる場所であり、観光スポットとしても人気となっているほか、国の史跡としての指定も受けています。

仙台城跡

Photo by yy – PICT0106(2007) / Size-adapted.

この仙台城跡ですが、かつては千代城という名前であり、戦国大名の伊達家に臣従していた国分家が代々の居城としていました。ところが、伊達政宗の叔父であり、伊達家から迎えられて国分家を継いだ国分盛重は、伊達政宗と不和になって出奔し、常陸国の戦国大名である佐竹義宣のもとに走ってしまい、千代城は空城となってしまいます。
当時は岩出山城を居城としていた伊達政宗は、天然の要害であり、広々とした仙台平野を見渡すことができるこの場所に目をつけて居城を移すことをもくろみ、関が原の戦い後、徳川家康の許しを得て、大々的な築城工事にとりかかります。あわせて現在の宮城県仙台市のもととなる城下町の建設にも手をつけ、人足の数が延べ100万人を超えるような大工事になったといいます。その結果として、慶長年間には築城工事が完成し、縁起のよい文字をとって仙台城と名前を改めます。
伊達政宗の時代の仙台城は、防御を重視した山城であったため、かならずしも平和な時代にはその設計思想が合わなかったため、2代藩主の伊達忠宗の時代に、平坦で城下町との往来にも便利な二の丸を造成して、以後は仙台藩主もここに起居するようになります。
現在の仙台城跡は、さきの大戦における空襲のために大手門などが焼失してしまったため、目立った建物は残されていませんが、巨大な石垣が見る者を圧倒し、櫓なども復元されています。また、仙台城跡の天守台には政宗公騎馬像がそびえ、その脇には青葉城資料展示館が開館しており、仙台城跡のパネルや模型などを展示しているほか、コンピューターグラフィックスを使った詳細な復原映像なども見られます。

INFORMATION

名称仙台城跡
所在地〒980-0862 宮城県仙台市青葉区 天守台青葉城址
電話番号022-222-0218
公式URLhttp://www.honmarukaikan.com/
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